自己肯定感ゼロ kantaroのblog

自己肯定感ゼロ。。。でこぼこな感情ゆえにしくじりまくってきた「大人の発達障害」ADHD・自閉症スペクトラムと向き合う私のblog

発達障害、生きづらくて困ってきたこと

覚えていることだけ書き出してみる。


①子供のころから忘れ物が多かった。宿題も忘れたり。段取りが悪く、間際になって慌てる。


自分が、子供のころは、体罰は普通にあったので、よくビンタをされたもんだ。小学校2年生の時から毎年、年に数回ずつ、ビンタをされた。


②遅刻が多い。


私の中学は、家から徒歩5分だったが、それでも遅刻が多かった。


中一の時の担任は、女性の教師だったが、三者面談で、「あまりにも家が近くて油断しちゃうのかしら?」と首をかしげていたのが、印象に残っている。


二年生に上がってからの担任が、男性教師で、元機動隊の強者だったが、自分には、優しく目をかけてくれた。自然と遅刻も収まった感じだ。


しかし、林間学校でやらかす。前日までに体育館に、荷物を準備しておく、ということを回覧されていたのに、すっかり忘れていた。


運動会の練習の時に、整列からはみ出してしまい、竹刀を持ち歩いている男性教諭に、「列に戻れ!」と、蹴りを入れられたことも覚えている。


所属していた野球部では、遅刻をすると、金属バットのグリップエンドで、ち・こ・く・を・す・る・な、と殴られた。ケツバットも日常茶飯事。あとバットを足の間に挟んでの正座。地味に痛い。


その厳しかった先輩たちの代だけ、けっこう強かった。うちらの一年後輩も強かった。


③空気が読めない。周囲の会話に入って行けない。


小学校も低学年のうちは、ほとんど特定の友達しかいなかった。当時、近所の上級生の子たちと、集団登校していたので、上級生の子たちと遊ぶことが多かった。5年生、6年生になるまで、その傾向は続く。


高学年になってから、決まった友人はできたけど、授業中に、カードゲームのカードいじっていて、怒られたり、友達と喧嘩して泣き出したり。。。


中学校でも、練習中に先輩にタメ口を聞いてしまい、殴られたりした。練習もよくさぼった。上級生になってからも、練習が休みの日に、学校に行ってしまったり、忘れ物もよくあった。


空気が読めない、周囲から浮いていると感じたのは、大人になってからのほうが特によくある。


仕事で、「なんで今、それをやっているの?」とか、「それやっとけって言ったよな?まだやってないの?」ということがよくあった。


共通項として、最初は、比較的、覚えることも早く順調だが、だんだん難しいことを要求されると、ついていけなくなる。


マルチタスク、決まったルーティン外のことができない。


臨機応変の対応が求められる、飲食の仕事につくことがおおかったので、地獄だった。


レジで、5千円と1万円札を間違えて渡してしまう、レジ閉めで、紙幣だけ入金してしまい、小銭をごっそり入金し忘れる、警報機の解除の手順が分からなくなり、警備会社に何回も発報してしまう、など、やらかしたことは数知れない。


お客さんや、ほかのスタッフとトラブルを起こすこともしょっちゅう。仕事中に、職場放棄して飛び出してしまったことが二回もある。


いまでも、満席の店内で一人でパニックって、誰にも助けてもらえなかったり、厨房のオーダーが入る、ピピッっという音にうなされる。悪夢を見ることがあるくらい。


人間関係のしくじりは、肺腑をえぐられる思いがするので、思い出したくもない。


複数のやらなければならないことがあると、優先順位がつけられず、段取りができない。


そのため、あれもこれも手を付けてしまい、何も進んでいないことに発狂する。


現在、いちばん困っているのは、朝の出勤準備だ。


そのために、契約解除になってしまった。


せっかく、自分の適性に合った、しかも大企業で、福利厚生もしっかりしている職場に入れたのに、残念でならない。


自分は、自分の特性に気づくのが遅すぎた。大人の発達障害というのが、社会的に認知され始めたのが、ごく最近のことだからだ。


それまでは、「こいつは、仕事ができない。何をやらせても遅い。なんでこんなこともできないの?」とバカにされ続けて生きてきた。


もっと早く認知されていれば、もしかすると、小学校6年の時、授業中に、友達にいたずらをされ、泣きじゃくりながら、友達を罵ったときに、教師が気づいてくれたかもしれない。


せめて、これから先、何年あるかわからないが、こういう感情からは無縁のところで生きていきたい。


そのために、心療内科にもいく。支援センターのカウンセラーにも相談する。飲みたくない薬も飲む。飲みたい酒は飲めない(笑)

ハラスメントだらけのこんな世の中に

NHKのスペシャルドラマ「こもりびと」の感想。


松山ケンイチって、ほんと、演技上手いね。


今回は、ほかの役者さんたちも、みんな素晴らしかった。


とくに、主人公である、雅夫役の松山ケンイチと、姪の美咲役の女優さん。見たことあるけど、名前は存じ上げない。


父親役の武田鉄矢さんの言葉は、子供のころから、父親に言われ続けてきたことです。


「お前は、将来ルンペン」「お前なんか、さっさと死ねばよかった」「お前は駅の高架下から拾われてきた」


痛いほど、親の期待に応えられていないことはわかる。わかっているけど、どうにもならない、現実との乖離・・・。「学校に行け」「仕事やめるな」「正社員になれ」・・・。


今の親は、子供に手を上げない、らしい。結婚もしたことないし、子供もいない、私にはわかりません。


自分は、30歳を過ぎるまで、父親と、まともに口を利くこともできませんでした。


父は、柔道の有段者。


殴られて、け飛ばされて、投げ飛ばされてきたから、言葉の暴力と両面で、支配されてきた。


今でも、当たり障りのない、意味のないやり取りしかありません。


ドラマを見ていて、父親役のセリフが、次々と心に突き刺さってきて、痛くて、まともに見ていることができなかった。全部、言われたことのあるセリフ。
次々、短剣のように突き刺さってくる


救われたのは、姪の美咲の叔父へのやさしさ。


美咲のやさしさに救われた。美咲のやさしい語りかけがあって、それと、余命の迫った父親の変化もあって、初めて、父親のほうから歩み寄ろうとした。


秀逸なドラマだったと思います。久しぶりに涙しました。


後半は、美咲のセリフに、「カチナシオ」雅夫のセリフに、涙が止まらなくなった。


3回見たけど、3回とも涙腺崩壊だ。


今の世の中、優しくて素直で純粋な人ほど、本来の自分を隠さないと生きていけない、我を通そうものなら、つまはじきにされる。蹴っ飛ばされる。
周囲の信じていた人たち、身近な家族にすら、「ハラスメント」を受ける世の中。


立ち止まることも許されない。ぐるぐる、ごうごうと、ものすごい速さで歩かされて、息を継ぐこともできない。立ち止まって、考えることすら許されない。


「ほんとうに、自分は正しいのだろうか。自分らしく生きているのだろうか。」


疑問を抱くことすら許されていない。


とにかく、あわただしく忙しい。ついていけなくなる。


一度、立ち止まったら、そこからははじかれる、戻れる居場所はない。


「生きていてくれるだけでいい」


ほんとうにそうだろうか。


ハラスメントだらけで、誰もそれを疑問に思わずに、受け入れざるを得なくなっている世の中に、ただ、生きているだけでいいなんて、通用するだろうか。


こんな疑問を感じる、自分は、社会からはじかれるのです。


ドラマは父親が亡くなり、自ら、喪主を名乗り出た主人公、葬儀が始まっても、なかなか部屋から出ることができず、美咲からの電話にも出ることができず。


葬儀が終わりかけたころにようやく参列、かろうじて弔辞だけを読み上げて、終わります。


最近の安っぽい、バーゲンセールみたいな、父の死をきっかけに立ち直る、みたいな、安易な結末ではありません。わずかに希望は持たせているけれど。


そのわずかな希望を見出しても、見えてきた光にすがることに、示された光が、その人にそぐうものなのかは、甚だ、疑問だと思うのです。

成功体験ゼロ、しくじってばかりのボク

じぶんは、そもそも何のために働いてきたのだろうか・・・。


ずっと、じぶんにはぜったいに向いていない仕事ばかりしてきて、それなりに楽しかったこともあるけど、何かをやり遂げたことってなにもない。


じぶんには、なにもない。


男として世に産まれて、なにもなさずに、ただ、ぼーーーーっと生きているだけで、なにもうまくいかない。


今の職場でようやく、今までにないくらい、長く働くことはできてきた。
でも、それもまもなくおしまい。


いままで、何もかもすべて自分から手放してきました。壊してきました。


仕事、恋愛、趣味、仲間・・・。


ぼくには何もない。


しくじりから学んで何かを残していける人はいいけど、自分には何もない。


努力が足りないからだっていうけど、何を努力をすればいいのか、自分にはわからない。