自己肯定感ゼロ kantaroのblog

自己肯定感ゼロ。。。でこぼこな感情ゆえにしくじりまくってきた「大人の発達障害」ADHD・自閉症スペクトラムと向き合う私のblog

考えがまとまらないひとたち。。。

おそらく、同じような障害(ADHD、自閉症スペクトラム)を抱えている人は実感することが多いと思う。


話しているうちに、何を話しているか、わからなくなってしまったり、いちばん言いたかった肝心なことが抜けてしまう。けっこう、重要な仕事の場面でもあったりする。


自分は、頻繁にこういうことがあって、幸い大事にならなかったことの方が、わずかに多かったというだけ。


相手からすると、「具体的にこの人は、何が言いたいの?」とイライラしてしまうと思う。


話している途中でさえぎられたり、強制的に話題を変えられてしまう。


本人は。「まだ話の途中なのに・・・。」と思う。強制的に話を終了されたという不満感が残る。「あの人は話を聞かないひとだ!」と断定する。


自分も、まだ話したいのに、と思うから、相手の話が切れたタイミングで話題を引き戻そうとする。相手は露骨に嫌な顔をす人もあれば、あきらめて付き合ってくれる人もいる。


そんなことは、気づいた時にはいくつもありました。


かなり最近になって、自分は発達障害だと知った。


医師のカウンセリングや、支援機関相談員との話の中から、自分の考えがまとまらないのに、話してしまったりする傾向に気づいた。


自分は、その時思いついたことが何かしら素晴らしいことのように思えて、ウキウキとして人に伝えようとするけれど、相手には具体的な中身のないまとまりのない話でしかない。


「もういいよ」とさえぎられたり、親しい仲であったら、「具体的に」とか「何が言いたいの」とツッコまれると思う。


じつは、自分の両親も当てはまります。


父親は、ある時点で他人とコミュニケーションをとることをどこかであきらめている。


母は、その逆。いつもまとまりのない話を吹っ掛けてきて、自分は辛抱強く聞こうと努力するが、つい声を荒げてしまうことを繰り返している。「具体的に何が言いたいの?」と。


自分がこの特性に気づけたのは、カウンセラーのAさんとの面談が大きいと思う。


彼女は、とても冷静にメモを取りながら、話を聞くときは絶対に自分の口をさしはさまず、最後までただ聞いてくれる。相槌も無駄なことは一切しない。


「聞いてくれてるのかな」「呆れてるのかな」とか不安になるほどだ。


しかし、聞き終わると、私のとりとめのない話の中からきちんと要点をくみ取ってくれている。


Aさんはすごい人だ。


自分が長々と、辛抱強く聞いてもらった話は、メモにして要約されると、無駄なものが削り落とされて、肝心の部分のみが取り出されている。


Aさんは頭がいい。尊敬する。


今は、投薬とAさんのおかげというところも大きいが、メモをこまめに取っている。書き残すという作業をすると、整理され記憶もしやすく、話をまとめることが少しずつできてきている実感が持てている。


明日は、勤務先との重大な面談を控えている。


要点だけを、会社を辞めることになっても、わだかまりを残さず辞められるように、きちんと伝えることだけは伝えたい。


そのことを伝えたくても、伝わらなかったことが、会社に行けなくなった大きな要因だと思うから。


次回以降、経緯について残しておこうと思う。